研究で日々ごみのことを考えている。
あまりに考えが煮詰まると、唐突にモノを捨てはじめる。
「身の回りにこんなにモノがあるからごみが出るんや。全部捨てて、もう買わへん!」
別に叫んだりはしないけど、心で少し激しくつぶやいて、猛然と資料や小物、電気製品をごみ袋に入れたり、ヒモで縛ったりして、部屋の隅にまとめる。
あとで、ふと我に返って、こっそりごみの山から、いくつかのモノをそうっと元に戻す自分がなんだか情けないけど、衝動で捨てるときって、ついつい、モノを多めに捨てがちだ。
それはさておき、捨てるときに、もったいなといつも思うのが、コピーの山だ。
自分で出力したものや、確認用に人がくれるもの。特に、間違って多く出力したものや、来もしない学生のために用意した講義し利用などは、ほんとに、罪悪感に駆られる。
グチはさておき。なんだか、「さておき」は今日二回目になる。本業に近い話題になると、ついつい話したいことがたくさんあって脱線してしまってどうしようもない。
まあとにかく、紙の山がなんだかもったいなくて、それはリサイクルすればいいというモノでもないと思う。
むしろ、最初から使わない方がいい。
そこで、紙を減らすべく、今まで僕はペーパーレスにチャレンジしてきたのだが、これがほんとうにうまくいかない。
ペーパーレスってなんかかっこいいイメージがある。
ペッパーレスは味気なさそうだし、トイレットペーパーレスは困るけど、ペーパーレスだけは”できるやつ”という感じ。
ペーパーレスといっても、僕がまず最初に目指したのは、紙をゼロにするというわけではなく、まずはできるところからということで、紙を出力しないことを心がけてみた。
多いのは、資料のコピー、論文の出力、原稿の確認(校正)用の出力などである。
これらをプリントアウトせずに、ディスプレイで見るようにしたら、相当ごみが減るはずだ。
そんな思いでやってみたら、不思議なことに、紙と違って、全然読んだものが頭に入ってこない。
僕が慣れていないのか、ディスプレイが悪いのか、なんだか分からないけれど、全然勉強できなくなってしまった。
なるほど、世の中の人たちがペーパーレスにしたがらない理由がよく分かった、と言って、僕はそれで第一弾の実験はやめてしまった。
(それでも、その頃(10年ぐらい前)、新聞を取るのをやめて、ネット上の情報を一次情報源にしてみた。結果、欲しい情報しか見ないので、なんだか人と話が全然合わなくなってしまった。)
状況は未だに変わっていないけど、何かを読むなら、紙にまさるものはない。
直接書き込んだりできるからかも知れないけれど、なぜか、今でもディスプレイは読んでも頭に残らない。
密かにそれは、光を反射する紙と、自ら発光するディスプレイという違いが、影響を及ぼしているような気がする。
なんだか、技術頼みという気もするけれど、直接書き込めて、自ら光らないデバイスが出たら、使えるんじゃないかな。
そういいながら、僕は未だに、この原稿すら、紙に出力してチェックするというなさけないありさまだ。
2009年6月4日
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