2009年6月30日

職場のPCの行き先

バイク屋さんからまだ連絡が何も来ないので、こちらから電話してみたら金曜日に直るという。
故障した日からもう3週間になってしまう。
せっかくバイクに乗る習慣が復活してきたのにとも思うが、安全には換えられない。

今日は職場のPCが更新されるということで、新しいのがやってきた。
今まではデスクトップだったのだが、新しいのはノートにしてみた。
といっても僕はMacなので、このPCはどうしてもWindowsが必要になったときか、学生が来たときに使うものになる。
せっかくなので、Linuxでもインストールしてみようかと思っているのだけれど、たぶん、ろくにいじらないだろうから、なんだかめんどうだ。

これまで新しいマシンが到着して、その日に電源を入れないなんてことは一度もなかったが、今日はまったくさわらなかった。
おそらく、今週いっぱいは放置したままになる。
世の中はiPhone3Gが3GSになって速くなった!と喜んでいるけれど、パソコンの世界は、最近、全然進歩していない。
正確にいうと、マシンが速くなる必要がほとんどないまま、ここ数年が経過している。
Vistaが大こけしたせいもあるけれど、本当のところは、多くの人がブラウザとメーラに、Officeさえ動けば、満足だからだろうと思う。

新しいマシンにも特に期待することも何もないので、電源すら入れなかった。
ちょっと持ってみて、「ああ、この重さなら、MacBookも許せるな」と思ったぐらいのこと。

ちなみに、古いPCは、ちょうど五年経ったので、リース明けで回収してくれるのかと思ってたら、実はこのPC、買い取りだということが分かった。
なので、回収はしてもらえずに、あいかわらず僕の部屋におかれている。

結局、僕のオフィスには、白いMacBook(初代)と、富士通のデスクトップ(5年前からある)に、昨年買ったVAIO TypeT(リコールになったモデル)の3台に加えて、新たにEPSONのよく分からないノートが加わった。
このうち、新しい方の2台がまったく使われずに放置されているのだから、もったいないといえば、もったいない話だ。
でも、いらないものはいらないということも、この二台を入手してよーく分かった。

そろそろ僕も、「足ることを知る」境地に近づいたのかも知れない。

2009年6月14日

バイクが故障

先週の金曜日、バイクで出勤。
信号が赤になったので、「やっぱり、ガソリン使ってるんやからアイドリングストップせなな」と、エンジンを切るスイッチでストップ。
そして、青になりそうなときに、エンジンをかけたら、かからない。

「あれ?」
パネルのランプが全部ついて、電源が落ち時計表示だけになったかと思うと、また、ランプが全部つくという症状を繰り返すだけです。

ちょうど目の前がガソリンスタンドだったので、そのままバイクを預けて、駅にダッシュです。
どうせヘルメットで頭がぐちゃぐちゃになるからと思って、頭が寝起きのままだったので、駅のトイレに駆け込んで、必死で直しました。
おかげで仕事には遅刻せずに済みました。

しかし、信号の場所によっては、500mぐらいマジェを押すはめになっていたかも知れないと思うと、いつもいくガソリンスタンドの前で止まったのは不幸中の幸いでした。

その後、職場からバイク屋さんに電話したところ、保険を使ってバイクを無料で回収してくれることになりました。
じつは、故障の前の日、木曜日にYAMAHAからバイク(07年型Majesty)に不具合が見つかったので無償修理するという連絡があったところでした。
なので、ついでに18ヶ月点検と、YAMAHAの修理をまとめてやってもらうことにしました。

まあ、ときどきは点検しなければいけないものだから、ちょうどよかったのかも。

ちなみに今度の故障はたぶんバッテリー。
友人から、一度死んだバイクのバッテリーは、いつまた中身が空になるか分からないから交換した方がいいよーって言われていたとおりでした。

バイク直って帰ってくるのが楽しみです。

2009年6月4日

ペーパーレスの夢

研究で日々ごみのことを考えている。
あまりに考えが煮詰まると、唐突にモノを捨てはじめる。
「身の回りにこんなにモノがあるからごみが出るんや。全部捨てて、もう買わへん!」
別に叫んだりはしないけど、心で少し激しくつぶやいて、猛然と資料や小物、電気製品をごみ袋に入れたり、ヒモで縛ったりして、部屋の隅にまとめる。
あとで、ふと我に返って、こっそりごみの山から、いくつかのモノをそうっと元に戻す自分がなんだか情けないけど、衝動で捨てるときって、ついつい、モノを多めに捨てがちだ。

それはさておき、捨てるときに、もったいなといつも思うのが、コピーの山だ。
自分で出力したものや、確認用に人がくれるもの。特に、間違って多く出力したものや、来もしない学生のために用意した講義し利用などは、ほんとに、罪悪感に駆られる。

グチはさておき。なんだか、「さておき」は今日二回目になる。本業に近い話題になると、ついつい話したいことがたくさんあって脱線してしまってどうしようもない。
まあとにかく、紙の山がなんだかもったいなくて、それはリサイクルすればいいというモノでもないと思う。
むしろ、最初から使わない方がいい。
そこで、紙を減らすべく、今まで僕はペーパーレスにチャレンジしてきたのだが、これがほんとうにうまくいかない。
ペーパーレスってなんかかっこいいイメージがある。
ペッパーレスは味気なさそうだし、トイレットペーパーレスは困るけど、ペーパーレスだけは”できるやつ”という感じ。

ペーパーレスといっても、僕がまず最初に目指したのは、紙をゼロにするというわけではなく、まずはできるところからということで、紙を出力しないことを心がけてみた。
多いのは、資料のコピー、論文の出力、原稿の確認(校正)用の出力などである。
これらをプリントアウトせずに、ディスプレイで見るようにしたら、相当ごみが減るはずだ。

そんな思いでやってみたら、不思議なことに、紙と違って、全然読んだものが頭に入ってこない。
僕が慣れていないのか、ディスプレイが悪いのか、なんだか分からないけれど、全然勉強できなくなってしまった。

なるほど、世の中の人たちがペーパーレスにしたがらない理由がよく分かった、と言って、僕はそれで第一弾の実験はやめてしまった。
(それでも、その頃(10年ぐらい前)、新聞を取るのをやめて、ネット上の情報を一次情報源にしてみた。結果、欲しい情報しか見ないので、なんだか人と話が全然合わなくなってしまった。)
状況は未だに変わっていないけど、何かを読むなら、紙にまさるものはない。
直接書き込んだりできるからかも知れないけれど、なぜか、今でもディスプレイは読んでも頭に残らない。
密かにそれは、光を反射する紙と、自ら発光するディスプレイという違いが、影響を及ぼしているような気がする。

なんだか、技術頼みという気もするけれど、直接書き込めて、自ら光らないデバイスが出たら、使えるんじゃないかな。
そういいながら、僕は未だに、この原稿すら、紙に出力してチェックするというなさけないありさまだ。

2009年6月1日

TeXで不等号を入力する

TeXというツールは、数式を手軽に、かつきれいに入力できることや、文章のレイアウトに気を遣わなくていいという意味で、とても便利なツールだ。
ただ、文章中の装飾(表の作成や、図の貼り込み、あるいは太字にするかイタリックにするか)をコマンドで指定しなければならないので、めんどうなときもある。

中でもめんどうなのが、記号の入力だ。
πは¥pie といれればよかったり、sinを¥sinとすればよいなど、わかりさえすれば楽なのだが、あまり使わない記号だと、探してしまう。

そんな、TeXの記号で、実はずっと悩んでいたことがあった。
不等号の入力の仕方が分からなかったのである。
不等号というのは、<や>のことで、下にイコールがついたり一本線がついたもの(たとえば、≧など)は知っていた。
しかし、イコールのない、ただの<や>となると、どこにも載っていない。

探し方が悪いのだと思って、何冊も本を読んだり、かなりの時間をかけてネットを検索しても分からなかった。

そしてふと、気づいた。
<>は別に命令ともかぶっていないから普通に入力してもよいのでは?

やってた。
当たりだった。

今までしかたなく全角記号で我慢していたりしたのが、少々恥ずかしくなるぐらいあっけない。
<>が表示できないなんて、まったく、><って感じだ。